俺達も裏へ回ると坊さんは、ここに一晩入り、憑きモノを祓うのだと言った。
そして、中には明りが一切ないこと、夜が明けるまでは言葉を発っしてはならないことを伝えてきた。

坊「もちろん、携帯電話も駄目です。明りを発するものは全て。食ったり寝たりすることもなりません」

どうしても用を足したくなった場合はこの袋を使用するようにと、変な布の袋を渡された。
俺は目を疑った。

(布って・・)

だが坊さん曰く、中から液体が漏れないようになっているらしい。
信じ難かったが、そこに食いついてもしょうがないので大人しくしといた。

その後俺達に、竹の筒みたいなものに入った水を一口ずつ飲ませ、自分も口に含むと俺達に吹きかけてきた。
そして小さな小屋の中に入るように言った。

俺達は順番に入ろうとしたんだが、Bが入る瞬間、口元を押さえて外に飛び出して吐いたんだ。
突然のことで驚いた俺達だったが、坊さんが慌てた様子で聞いてきた。

坊「あなたたち、堂に行ったのは今日ではないですよね?」

俺「え?昨日ですけど」

坊「おかしい、一時的ではあるが身を清めたはずなのに、おんどうに入れないとは」

言ってる意味がよく分からなかった。

すると坊さんはBのヒップバッグに目をつけ、
坊「こちらに滞在する間、誰かから何かを受け取りましたか?」
と聞いてきた。

俺は特に思い浮かばず、だがAが言ったんだ。
A「今日給料もらいましたけど」

当たり前すぎて忘れてた。
そういえば給料も貰いものだなって妙に感心したりして。

俺「あ、あと巾着袋も」

A「おにぎりも。もらい物に入るなら」

給料を貰った時に女将さんにもらった小さな袋を思い出した。
そして美咲ちゃんには朝、おにぎりを作って貰ったんだった。

坊さんはそれを聞くと、Bに話しかけた。
坊「Bくん、それのどれか一つを今、持っていますか?」

B「おにぎりはデカイ鞄の方に入れてありますけど、給料と袋は、今持ってます」

Bはそう言ってバッグからその二つを取り出した。

坊さんは、まず巾着袋を開けた。

すると一言、「これは・・」と言って俺達に見えるように袋の口を広げた。

中を覗き込んで俺達は息を呑んだ。

そこには、大量の爪の欠片が詰まっていたんだ。
俺の足に張り付いていたものと一緒だった。見覚えのある、赤と黒ずんだものだった。

Bは、その場ですぐまた吐いた。
俺もそれに釣られて吐いた。
周辺が汚物の匂いでいっぱいになり、坊さんも顔を歪めていた。

坊さんは、Bの持ち物を全て預かると言い、俺達2人も持ち物を全て出すように言った。

俺は、携帯と財布を坊さんに手渡し、旅行鞄の方に入っている巾着袋を処分してもらえるよう頼んだ。

坊さんは頷き、再度Bに竹筒の水を飲ませ、吹きかけた。

そして俺達3人がおんどうの中に入ると、
坊「この扉を開けてはなりません。皆、本堂のほうにおります。明日の朝まで、誰もここに来ることはありません。」

坊「そして、壁の向こうのものと会話をしてはなりません。このおんどうの中でも言葉を発してはなりません。居場所を教えてはなりません。」

坊「これらをくれぐれもお守りいただけますよう、お願いします」

そう言って俺達の顔を見渡した。
俺達は頷くしかなかった。
この時既に言葉を発してはならない気がして、怖くて何も言えなかったんだ。

坊さんは俺達の様子を確認すると、扉を閉め、そのまま何も言わず行ってしまった。


おんどうの中はひんやりしていた。
実際ここで飲まず食わずでやっていけるのかと不安だったが、これなら一晩くらいは持ちそうだと思った。

建物自体はかなり古く、壁には所々に隙間があった。といっても結構小さいものだけど。

まだ昼時ということもあり、外の光がその隙間から入り、AとBの顔もしっかり確認できた。
顔を見合わせても何も喋ることができないという状況は、生まれて初めてだった。

「大丈夫だ」という意味を込めて俺が頷くと、AもBも頷き返してくれた。

しばらくすると、顔を見合わせる回数も少なくなり、終いにはお互い別々の方向を向いていた。

喋りたくても喋れないもどかしさの中、後どれくらいの時間が残っているのか見当も付かない俺達は、ただただ呆然とその場にいることしかできなかったんだ。

途方もない時間が過ぎていると感じているのに、まだ外は明るかった。

するとAがゴソゴソと音を立て出した。
何をしているのかと思い、あまり大きな音を出す前に止めさせようと思ってAの方に向き直ると、Aは手に持った紙とペンを俺達に見せた。

こいつは、坊さんの言うことを聞かずに密かにペンを隠し持っていたのだ。
そして紙は、板ガムの包み紙だった。まあメモ用紙なんて持っているはずない俺達なので、きっとそれしか思い浮かばなかったんだろう。

(こいつ何やってんだよ・・)
一瞬そう思った俺だが、意思の疎通ができないこの状況で極限に心細くなっていた所為もあり、Aの取った行動に何も言う事が出来なかった。
むしろ、ひとつの光というか、上手く説明できないんだが、とにかくすごく安心したのを覚えてる。

Aはまず自分で紙に文字を書き、俺に渡してきた。

”みんな大丈夫か?”

俺はAからペンを受け取り、なるべく小さく、スペースを空けるようにして書き込んだ。

”俺は今のところ大丈夫、Bは?”

そしてBに紙とペンを一緒に手渡した。

”俺も今は平気。何も見えないし聞こえない。”

そしてAに紙とペンが戻った。

こんな感じで、俺達の筆談が始まったんだ。

A”ガム残り4枚。外紙と銀紙で8枚。小さく文字書こう”

俺”OK。夜になったらできなくなるから今のうちに喋る”

B”わかった”

A”今何時くらい?”

俺”わからん”

B”5時くらい?”

A”ここ来たの1時くらいだった”

俺”なら4時くらいか”

B”まだ3時間か”

A”長いな”

こんな感じで他愛もない話をして1枚目が終わった。

するとAが書いてきた。

A”○○文字でかい”

俺は謝る仕草を見せた。

するとAは俺にペンを渡してきたので、

俺”腹減った”

と書き込みBに渡した。

そしてBが何も書かずにAに紙を渡した。

するとAは

A”俺も”

と書いて俺に渡してきた。




あれだけ心細かったのに、いざ話すとなるとみんな何も出てこなかった。

俺は、日が沈む前に言っておかなければならないことを書いた。

俺”何があっても、最後までがんばろうな”

B”うん”

A”俺、叫んだらどうしよう”

俺”なにか口に突っ込んどけ”

B”突っ込むものなんてないよ”

A”服脱いでおくか”

俺”てか、何も起きない、そう信じよう”

Bは俺の書いた言葉にはノーコメントだった。

俺も書いたあと、自分で何を言ってるんだろうと思った。

坊さんは、何も起きないとは一言も言っていなかった。
むしろ、これから何が起こるのかを予想しているような口ぶりで俺達にいくつも忠告をしたんだ。

そう考えると俺達は、一刻も早く時間が過ぎてくれることを願っている一方で、本当の本当は、夜を迎えるのがすごく怖かったんだ。

夜だけじゃない、あの時ああしてる時間も、本当は怖くてしょうがなかった。
唯一の救いが、互いの存在を目視できるということだっただけで。

俺の一言で空気が一気に重くなった。

俺はこの空気をどうにかしようと、Bの持っていた紙とペンをもらい、

俺”何か喋れ時間もったいない”

と書いてAに渡した。他人任せもいいとこ。
Aは一瞬困惑したが、少し考えて書き出し、俺に渡してきた。

A”じゃあ、帰ったら何するか”

俺”いいね。俺はまずツタヤだな”

B”なんでツタヤ?”

俺”DVD返すの忘れてた”

A”どんだけ延泊!?”

まあ嘘だった。どうにかして気を紛らわせたかったからなんでもいいやって適当に書いた。
結果、雰囲気はほんの少しだが和み、AもBもそれぞれ帰ったら何をするかを書いた。

少しずつだが、ゆっくりと俺達は静かな時間を過ごした。
そして残りの紙も少なくなった頃、Bはある言葉を紙に書いた。

B”俺は坊さんに言われたことを必ず守る。死にたくない”

俺もAも、最後の言葉を見つめてた。
俺は「死にたくない」なんて言葉、生まれてこの方本気で言ったことなんかない。
きっとAもそうだろう。

死ぬなんて考えていなかったからだ。
死を間近に感じたことがないからだ。

それを、今目の前で心の底から言うヤツがいる。
その事実がすごく衝撃的だった。

俺はBの目をしっかりと見つめ、頷いた。

その後は特に何も話さなかったが、不思議と孤独感はなかった。

お互いの存在を感じながら、俺達は日が暮れるのを感じていた。

何もせずにいると蝉の鳴き声がうるさくて、でも徐々に耳が慣れて気にならなくなった。
でも、なんか違和感なんだ。よく耳を凝らすとなにか他の音が聞こえるんだ。

さらに耳を凝らすと、段々その音がクリアに聞こえるようになった。

俺は考えるより先に確信した。
あの呼吸音だって。

Bを見た。薄暗くて分かりづらかったが、Bに気づいている気配はなかった。

Bには聞こえないのか?
そういえばBって呼吸音について言ってたっけ?
もしかしてあれは聞いたことがないのか?
それとも単に気づいていないだけか?

頭の中で色々な考えが浮かんだ。
すると硬直する俺の様子に気づいたBが、周りをキョロキョロと見回し始めた。

この状況の中で、神経が過敏にならないはずがなかった。俺の異変にすぐ気づいたんだ。

すると、Bの視線が一点に止まった。俺の肩越しをまっすぐ見つめていた。
白目が一気にデカくなり、大きく見開いているのがわかった。

AもBの様子に気が付き、Bの見ている方を見ていたが何も見つけられないようだった。
俺は怖くて振り返れなかった。

それでも、あの呼吸音だけは耳に入ってくる。
ソレがすぐそこにいることがわかった。動かず、ただそこで「ひゅーっひゅーっ」といっていた。

しばらく硬直状態が続くと、今度は俺達のいるおんどうの周りを、ズリズリとなにか引きずるような音が聞こえ始めたんだ。

Aはこの音が聞こえたらしく、急に俺の腕を掴んできた。

その音は、おんどうの周りをぐるぐると回り、次第に呼吸音が「きゅっ・・・・きゅえっ・・」っていう何か得体の知れない音を挟むようになった。
俺には音だけしか聞こえないが、ソレがゆっくりとおんどうの周りを徘徊していることは分かった。

Aの腕から心臓の音が伝わってくるのを感じた。
Bを確認する余裕がなかったが、固まってたんだと思う。
全員微動だにしなかった。

俺は恐怖から逃れるために、耳を塞いで目を瞑っていた。
頼むから消えてくれと、心の中でずっと願っていた。

どれくらい時間が経ったかわからない。ほんの数分だったかも知れないし、そうでないかも知れない。
目を開けて周りを見回すと、おんどうの中は真っ暗で、ほぼ何も見えない状態だった。

そしてさっきまでのあの音は、消えていた。

恐怖の波が去ったのか、それともまだ周りにいるのか、判断がつかず動けなかった。

そして目の前に広がる深い闇が、また別の恐怖を連れて来たんだ。

目を凝らすが何も見えない。
「いるか?」「大丈夫か?」の掛け声さえ出せない。

ただAはずっと俺の腕を握ってたので、そこにいるのが分かった。

俺はこの時猛烈にBが心配になった。
Bは明らかに何かを見ていた。

暗がりの中で、Bを必死に探すが見えない。

俺は、Aに掴まれた腕を自分の左手に持ち直し、Aを連れてBのいた方へソロソロと歩き出した。
なるべく音を立てないように、そしてAを驚かせないように。

暗すぎて意思の疎通ができないんだ。
誰かがパニックになったら終わりだと思った。

どこにいるか全くわからないので、左手にAの腕を持ったまま、右手を手前に伸ばして左右にゆっくり振りながら進んだ。
すると指先が急に固いものに当たり、心臓がボンっと音を立てた。

手に触れたそれは、手触りから壁だということがわかった。

おかしい、Bのいた方角に歩いてきたのにBがいない。

俺は焦った。さらに壁を折り返してゆっくりと進んだ。だがまた壁に行き着いた。

途方に暮れて泣きそうになった。

「Bどこだ」の一言を何度も飲み込んだ。

どうしていいかわからなくなり、その場に立ち尽くしたままAの腕を強く握った。
すると、今度はAが俺の腕を掴み、ソロソロと歩き出したんだ。

まず、Aは壁際まで行くと、掴んだ俺の腕を壁に触らせた。
そしてそのままゆっくりと壁沿いを移動し、角に着いたら進路を変えてまた壁沿いに歩く。
そうやっていくうちに、前を歩くAがぱたりと止まった。そして、俺の腕をぐいっと引っ張ると、何か暖かいものに触れさせた。
それは、小刻みに震える人の感触だった。

Bを見つけたと思った。
でもすぐ後に、(これは本当にBなのか?)という疑問が芽生えた。
よく考えたらAもそうだ。ずっと近くにいたが、実際俺の腕を掴んでいるのはAなのか?

俺は暗闇のせいで、完全に疑心暗鬼に陥っていた。

俺が無言でいると、Aはまた俺の腕を掴み、ソロソロと歩き出した。

俺はゆっくりとついていった。
すると、ほんの僅かだが、視界に光が見えるようになった。

不思議に思っていると、部屋にある隙間から少しだけ月の明かりが入ってきているのが目に入った。
Aはそこへ俺達を連れて行こうとしているのだと思った。

何故気づかなかったのか、今思っても不思議なんだ。
暗闇に目が慣れるというのを聞いたことがあったけど、恐怖に呑まれてそれどころじゃなかった。
ほんとに真っ暗だったんだ。

とにかく、その時俺はその光を見て心の底から救われた気持ちになった。
そしてAに感謝した。

後から聞いたんだが、
A「俺は見えもしなかったし、聞こえもしなかった。なんか引きずってる音は聞こえたんだけどな。
でもそのおかげで、お前達よりは余裕があったのかも。」
と言っていた。
大した奴だって思った。

光の下に来ると、Aの反対側の手にBの腕が握られているのが見えた。
月明かりで見えたBの顔は、汗と涙でぐっしょり濡れていた。
何があったのか、何を見たのか、聞くまでもなかった。

夜は昼と違って、すごく静かで、遠くで鈴虫が鳴いていた。

俺達はしばらくそこでじっとしていた。
恥ずかしながら、3人で互いに手を取り合う格好で座った。ちょうど円陣を組む感じで。
あの状態が一番安心できる形だったんだと思う。

そして何より、例え僅かな光でも、相手の姿がそこに確認できるだけで別次元のように感じられたんだ。

しばらくそうしていると、とうとう予想していたことが起きた。

Aが催したのだ。
生理現象だから絶対に避けられないと思っていた。
Aは自分のズボンのポケットから坊さんに貰った布の袋をゴソゴソと取り出すと、立ち上がって俺達から少し離れた。

静寂の中、Aの出す音が響き渡る。
なんか、まぬけな音に若干気が抜けて、俺もBも顔を見合わせてニヤっとした。

その瞬間だった。

「Bくん」

AB俺(・・・)

一瞬にして体に緊張が走る。

するとまた聞こえた。
俺達がおんどうに入った扉のすぐ外側からだった。

「Bくん」

俺達は声の主が誰か一瞬で分かった。
今朝も聞いた、美咲ちゃんの声だった。